香川漆器は、その美しい色彩と精緻な技法で日本の伝統工芸を代表する存在です。東南アジアから伝わった独特の技法と日本の美意識が融合し、200年近くの歴史を持つ香川漆器は、日常使いの器から芸術的な美術工芸品まで幅広い作品を生み出しています。
この記事では、香川漆器の歴史から代表的な技法、そして実際に体験する方法まで詳しく解説します。
香川漆器とは?|歴史と特徴を知る
香川漆器の起源と歴史
香川漆器は江戸時代後期から発展した伝統工芸で、約200年の歴史を持っています。1638年(寛永15年)に水戸から高松へ松平頼重が入り、漆器製作や彫刻を奨励したことがその始まりでした。特に重要なのは、1806年(文化3年)に高松市で生まれた玉楮象谷(たまかじぞうこく)の存在です。彼は20歳で京都へ遊学し、中国から伝来した漆塗技法を研究開拓しました。玉楮象谷は、中国伝来の存清・彫漆技法、そして中国南方・東南アジア伝来と言われる藍胎蒟醤の技法に着目し、日本的な漆芸技法として復活させました。このことから、彼は「香川漆芸の祖」「香川の漆聖」と称されています。
他の漆器と異なる香川漆器の特徴
香川漆器の最大の特徴は、多彩で優雅な色漆の美しさと、製作される商品の種類の豊富さにあります。特に彫刻刀や剣による彫りの技術と色漆の使用が香川漆芸の特徴であり、装飾性と独自性が際立っています。例えば、輪島塗が堅牢さと実用性を重視するのに対し、香川漆器は芸術的な模様や彫刻で人々の目を惹きつけます。
使い込むうちにしっとりした手触りと美しい艶が出て、割れにくいという実用性も兼ね備えています。また、和室だけでなく洋室にも調和するデザイン性を持っており、北欧風のインテリアに漆器のカップを合わせても違和感がなく、むしろ空間を引き締めてくれる点も魅力です。
香川県で漆器が発展した理由
香川県は本来、漆芸に適した土地柄ではありませんでした。それにもかかわらず漆工芸の産地になったのは、江戸時代後期に高松藩に出た玉楮象谷という傑出した人物の努力によるものです。
江戸時代の藩政の保護を受け、品質と生産量ともに着実に発展してきました。1949年(昭和24年)には重要漆工業団地の指定を受け、香川漆器の年間生産額は約250億円にまで発展しました。
近年では、展示会などに入賞する漆芸作家は70人以上で、漆器関係の仕事に従事する人は約2,000名という情報がある一方で、高松市の2023年度の資料によれば、漆器組合は24者に減少しており、産業全体が縮小傾向にあるようです。
香川漆器の代表的な技法5選
蒟醤(きんま)|繊細な文様を彫り込む技法
蒟醤(きんま)は、中国の「填漆」(漆を充填するという意味)の技法が、中国南方(四川・雲南地方)からタイやミャンマーに伝わり、室町時代末期ごろ日本に伝来したものです。語源はタイ語の「キン・マーク」から来ており、「キン」は噛む、「マーク」は檳榔樹の実という意味です。
蒟醤の技法は、竹や木、乾漆などで形作った器物の上に漆を塗り重ね、蒟醤剣で文様を彫り込みます。そして、彫り込んだ溝に色漆を埋め、表面を平らに研いで余分な色漆を取り除き、意図した文様を表現します。この作業を繰り返し行い、全ての充填が終わると表面を平らに研ぎ出します。
彫漆(ちょうしつ)|幾重にも塗り重ねて彫る伝統技
彫漆(ちょうしつ)は、各種の色漆を数十回から数百回塗り重ねて色漆の層(100回で厚さ約3mm)を作り、その層を彫り下げることによって文様を浮き彫りにする技法です。彫りそのものによる立体感と彫りの深さによって変わる色の対照が、独特の美を生み出します。
この技法は中国の宋・元の時代に起こり、明代に盛んになりました。日本には室町時代に伝来し、玉楮象谷は中国の漆器を模して日本的な彫漆技法を完成させました。朱漆だけを塗り重ねたものを堆朱、黒漆だけを塗り重ねたものを堆黒といいます。現在では顔料の発達により様々な色漆が使われています。
存清(ぞんせい)|東南アジアから伝わった彩色技法
存清は室町時代に日本に伝わり、「存星」とも書きますが、香川県では玉楮象谷が用いた「存清」の文字を用いています。東南アジアから中国を経て日本に伝わったこの技法は、黒、赤、黄の地の漆面に色漆で絵を描き、輪郭や絵の主要部を線彫り、毛彫りをして仕上げます。
存清には二つの技法があります。一つは、漆を塗り重ねた器物に色漆で文様を描き、剣で輪郭や細部に線彫りを施し、彫り口の凹部に金粉や金箔を埋めて文様を引き立てる「鎗金細鉤描漆法」です。もう一つは、漆を塗り重ねた器物に彫刻刀で文様を彫り、彫り口に色漆を埋め炭で研いで平らにし、剣で輪郭や細部に線彫りを施し、彫り口の凹部に金粉や金箔を埋めて文様を引き立てる「鎗金細鉤填漆法」です。
後藤塗(ごとうぬり)と象谷塗(ぞうこくぬり)
香川漆器には、「後藤塗(ごとうぬり)」と「象谷塗(ぞうこくぬり)」という技法も存在します。後藤塗は、後藤太平が創り出した塗手法で、日常使いの漆器に適した技法です。一方、象谷塗は玉楮象谷の名を冠した技法で、香川漆器の伝統的工芸に指定されています。
これらの技法も含め、キンマ、存清、彫漆、後藤塗り、象谷塗りの五品目が香川の伝統的工芸に指定されています。
蒟醤・存清・彫漆の違いとは?
香川漆器の三大技法である蒟醤、存清、彫漆には、それぞれ特徴的な違いがあります。
蒟醤は文様を彫り込んで色漆を埋める技法で、色彩の対比が美しく、平面的な装飾が特徴です。存清は色漆で絵を描き、線彫りで輪郭を強調する技法で、絵画的な表現が可能です。彫漆は漆を何層も塗り重ねて彫り下げる技法で、立体感のある表現が特徴です。
これらの技法は、彫刻刀や剣による彫りの技術と色漆の使用という共通点を持ちながらも、それぞれ異なる表現方法で香川漆器の多様性を生み出しています。
現代にも受け継がれる香川漆器の技法
香川漆器の伝統技法は現代にも受け継がれ、進化を続けています。重要無形文化財醤技術保持者に指定された磯井如真(いそいじょしん)、音丸耕堂(おとまるこうどう)などの巨匠も香川漆器の発展に貢献してきました。
現代では、伝統的な技法を守りながらも、若手作家によるカラフルでモダンな配色も注目されています。例えば、深い漆黒の中に金粉が舞うような柄や、花をモチーフにした立体的な彫刻など、現代的な感性を取り入れた作品も生まれています。
香川漆器の技法が生まれた背景
名工たちの挑戦が技法を生んだ
香川漆器の技法発展には、名工たちの挑戦精神が大きく貢献しています。特に玉楮象谷は、中国やタイから伝来した漆器を研究し、蒟醤や存清などの技法を確立しました1。彼は20歳で京都へ遊学し、塗師・彫刻師・絵師らと交友しながら、中国から伝来した漆塗技法を研究開拓しました。
また、後藤太平のような職人も独自の「後藤塗」を創出し、香川漆器の多様性に貢献しました1。これらの名工たちの絶え間ない研究と挑戦が、香川漆器の独自性と芸術性を高めていったのです。
技法が進化した文化的背景
香川漆器の技法が進化した背景には、江戸時代の藩政の保護という文化的背景があります1。1638年(寛永15年)に水戸から高松へ松平頼重が入り、漆器製作や彫刻を奨励したことで、香川での漆器製作が本格的に始まりました1。
明治時代に入ると、日本全体が文明開化の波にさらされ、伝統工芸にも新たな価値観と技術革新が求められるようになりました。香川漆器もこの時代に技法の多様化が一気に進み、象谷塗に加えて蒟醤や存清といった加飾技法が広く取り入れられるようになりました。職人たちは西洋文化の影響も受けながら、新たなデザインや表現手法に挑戦し、香川漆器を単なる伝統工芸から芸術的価値を持つ作品へと押し上げていきました。
香川漆器における技術継承の取り組み
香川漆器の伝統技法を次世代に継承するため、さまざまな取り組みが行われています。展示会などに入賞する漆芸作家は70人以上で、漆器関係の仕事に従事する人は約2,000名と言われており、技術継承の基盤が整っています。
また、讃岐漆芸美術館などの施設では、伝統工芸士の指導のもとで彫漆体験などのワークショップを開催し、一般の人々にも香川漆器の技法を体験する機会を提供しています。これらの取り組みにより、香川漆器の伝統技法は現代にも脈々と受け継がれています。
香川漆器の技法を実際に見る・体験する方法
美術館や展示会で技法を鑑賞する
香川漆器の技法を実際に見るには、讃岐漆芸美術館が最適です。この美術館は2014年に高松市にオープンし、香川の漆器工芸の常設展示を行っています。ここでは、蒟醤、存清、彫漆などの伝統技法を用いた作品を間近で鑑賞することができます。
また、定期的に開催される展示会や工芸展も、香川漆器の技法を知る絶好の機会です。これらのイベントでは、伝統的な作品から現代的な解釈を加えた新作まで、幅広い香川漆器を見ることができます。
工房見学・体験で伝統技術を学ぶ
香川漆器の技法をより深く理解するには、工房見学や体験ワークショップへの参加がおすすめです。讃岐漆芸美術館では、彫漆体験を提供しています。この体験では、伝統工芸士の指導のもと、漆を塗り重ねた小皿を彫って紋様を描くことができます。
体験の流れは、まず漆器についての説明を聞き、好きな器を選んで描きたい絵柄を考え、実際に刃物を使って彫っていきます。約60分の体験で、香川漆器の技法の一端を実感することができます。ただし、本物の漆を使用するため、漆に弱い方は注意が必要です。
香川漆器の購入ポイントと選び方
香川漆器を購入する際は、いくつかのポイントを押さえておくと良いでしょう。まず、本物の香川漆器には香川県漆器工業協同組合の認定マークが付いている場合が多く、これが品質の保証になります。
また、塗りの質感にも注目しましょう。本物の香川漆器は手触りがなめらかで、光の当たり方によって深い艶感を感じられます。木地の素材にも注目し、天然木が使われているかどうかを確認することも大切です。
用途に合わせた選び方も重要です。日常使いの食器やお盆を探している場合は、比較的シンプルで耐久性に優れたデザインのものを選ぶと良いでしょう。特別な場面で使う茶道具や飾り皿、または贈答用に選ぶ場合は、蒟醤や象谷塗などの装飾性の高い技法を使ったものが適しています。
まとめ
香川漆器は、約200年の歴史を持つ日本の伝統工芸で、蒟醤、存清、彫漆などの独自の技法によって特徴づけられています。これらの技法は、玉楮象谷をはじめとする名工たちの挑戦と研究によって確立され、現代にも受け継がれています。
香川漆器の魅力は、多彩で優雅な色漆の美しさ、製作される商品の種類の豊富さ、そして使い込むほどに増す艶と手触りにあります。実際に香川漆器の技法を見たり体験したりするには、讃岐漆芸美術館などの施設を訪れるのがおすすめです。
購入する際は、認定マークの有無や塗りの質感、木地の素材などに注目し、用途に合わせた選び方をすることが大切です。香川漆器は単なる工芸品ではなく、日本の伝統文化を代表する芸術品であり、日常生活に彩りを添える実用品でもあります。